ラジオ生出演を終えて
- 2018.11.09 Friday
- 08:00
どこかで無理し、どこかで理想を演じるのを止めて1年。
いつもがんばっている自分、緊張が抜けない自分、を止めて1年。
ラジオの映像見てびっくり!笑顔の超苦手な私が、あんなに笑顔で話しているなんてΣ(゚д゚lll)
もちろん台本はないし、話す内容なんて、何も決めてない。(カードはお友達なのでいつも持参している、笑)
そこには、自然体で「今」を生きている自分がいた。
舞台の仕事(公演班)時代は、「おかしくもないのに笑えません!」と、演出家に泣きながら反論していた。実際、作り笑顔の人の奥が見抜けるから、嫌だった。それは、今も変わらない。
ラジオでは、直前まで教職に就いていたことは、発信しなかった。関係者各位への配慮から。どこまでも守秘義務。
今では、関係者各位が、お忍びで、おりひめのセッションに来てくださる。その中にいては、できなかったことも、こうして生き方をシフトした私だからこそ、できることがある。
あんなに大好きな音楽(オーケストラ活動)を今しないのは、どこかで「音楽で自分を表現して、認めてもらいたい」という気持ちが、もうなくなったからだと思う。
特に、常に大好きな世界を反対されていた親に。そして、私の場合は、年の離れた下の弟がいるから、いつも母が、「弟が泣くから途中で帰ったよ」と言っていて、私の晴れ舞台を見てもらえないことが、多かった。私の演奏会には来てくれないけれど、弟(トロンボーン)の吹奏楽のコンクールには行っていた母。
こんなふうに、誰かに認めてもらいたい、わかってほしい、と思う根底の矛先は、たいていは「親」。たまたまの出来事だったり、元々の環境だったりで、親に受け止めてもらえないと思い込んでいる感情を、ずっと握りしめたまま人は成長していく。
「親」なのに、それが「みんな」に変わる恐ろしさ(笑)
「どうせ私のことなんて、誰もわかってくれない」「誰もわかってくれない、認めてくれない」「このままの私には、価値がない」「もっとがんばって認められなくっちゃ」と無限にがんばり始める。
私の場合、誰かに認めてもらいたくってやっていたのが音楽。音楽が好きな自分を一番認めてもらいたかったから。両親に認めてもらいたかったから。
「親」になったらわかる。子どものことを、わかろうとしない親なんて、いない。子どもががんばっても、がんばらなくっても、そんなの関係ないし、存在そのままを丸ごと愛している。(「うわっ、きもっ!」って息子が聞いたら、言いそう、笑)
社会的に認められる生活をしていた自分が、本来の自分で生きて1年。今は、何より、自分が自分自身のままで生きている。
今は、誰に認められなくっても、ただ自分自身を生きたくて「おりひめ人生」を生きている。
というか、もう「認められたい」という感覚が、ない。
私が本当に生きたい私で生きると、世界もそうなる。
2018.11.9(金) おりひめサロンにて おりひめかおる♡
★ラジオのYouTubeはこちらです。視聴してみたい方はどうぞ。最初すぐに無音状態になりますが、そのうち聞こえ始めます。
おりひめさん、と呼んでくださり嬉しいです。
先日は、海鮮丼ありがとうございました。すごく美味しかったです。
1人の女性としての人生ですね?ゆっくり聞かせてくださいね。